大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成3年(行ケ)77号 判決

原告 ジャンヌ ランバン

代表者 ベルナール ジャンセーヌ

訴訟代理人弁護士 田中克郎

同 松尾栄蔵

同 宮川美津子

同 水戸重之

同 高市成公

同 千葉尚路

被告 特許庁長官 深沢亘

指定代理人 川崎義晴

〈ほか一名〉

主文

特許庁が昭和六〇年審判第七八三三号事件について平成二年一〇月一一日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五七年一二月一〇日「ランバン」の片仮名文字を左横書きしてなる商標(以下「本願商標」という。)について、第一七類「被服(運動用特殊被服を除く。)布製身回品(他の類に属するものを除く。)、寝具類(寝台を除く。)。」を指定商品として、商標登録出願をしたところ、昭和五九年一二月一八日拒絶査定を受けたので、同六〇年四月二四日審判の請求をした。特許庁は上記請求を同年審判第七八三三号事件として審理した結果、平成二年一〇月一一日、上記請求は成り立たない、とする審決をした。

2  審決の理由の要点

(1)  本願商標は、「ランバン」の片仮名文字を左横書きしてなり、第一七類「被服(運動用特殊被服を除く。)、布製身回品(他の類に属するものを除く。)、寝具類(寝台を除く。)。」を指定商品として、昭和五七年一二月一〇日登録出願されたものであるが、その後、昭和五九年一〇月一日付けの出願変更届により、登録第九七九五五五号商標との連合商標に変更されたものである。

引用商標(登録第九四四六〇二号商標)は、「ラーバン」の片仮名文字と、「RURBAN」の欧文字とを併記してなり、第一七類「被服、布製身回品、寝具類」を指定商品として、昭和四四年一二月二二日に登録出願され、同四七年一月一四日に登録、同五七年二月二六日に商標権存続期間の更新登録がされ、現に有効に存続するものである。

(2)  本願商標は、上記構成のとおり「ランバン」の文字を書してなるものであるから、構成文字に相応して「ランバン」の称呼を生ずることは明らかである。

これに対し、引用商標は前記のとおり「ラーバン」と「RURBAN」の文字を併記してなるところ、前者は後者の欧文字部分の読みを特定したものと認められるから、「ラーバン」の文字に相応して、「ラーバン」の称呼が生ずるものである。

(3)  そこで、以上の両称呼を比較すると、両者は、商標の称呼による識別上重要な要素を占める語頭音「ラ」を含む「バ」、「ン」の三音を共通にし、わずかに語頭音の後が、「ラ」の長音であるか、鼻音「ン」であるか、の差異を有するにすぎないところ、上記差異音でさえ、いずれも前音に吸収され易く、必ずしも明確に聴取し難いものであることからすれば、これが称呼全体に及ぼす影響は極めて少ないものとみるのが相当である。

してみると、両者をそれぞれ全体として一連に称呼するときは、語感、語音が近似したものとなり、彼此聴き誤るおそれがあるものといわなければならない。

(4)  したがって、本願商標と引用商標とは、外観、観念について論及するまでもなく、称呼において類似の商標であり、かつ、指定商品も同一であるから、本願商標は商標法四条一項一一号に該当し登録することができない。

3  審決の取消事由

審決の理由の要点のうち、(1)、(2)は認める。同(3)のうち、両商標が語頭音「ラ」を含む「バ」、「ン」の三音を共通にし、語頭音の後が引用商標においては「ラ」の長音であるのに対し、本願商標においては「ン」である点に差異があることは認めるが、その余は争う。同(4)は争う。審決は、以下に述べるように、本願商標と引用商標の語感、語調の相違を看過し、また、本願商標の確立した周知性、著名性による識別機能を何ら考慮せず、両商標の類否の判断を誤ったものであるから、違法であり、取消しを免れない。

(1)  本願商標と引用商標は、語調、語感を異にするから、両者は称呼においても相紛れるおそれがない。すなわち本願商標から生ずる称呼「ランバン」は、第一音「ラ」及び第三音「バ」の母音が共に大開母音たる「ア」であり、かつ、いずれも口を軽く閉じて発する撥音「ン」を伴うものである。このことから、本願商標を一連に称呼するときには「ラン・バン」と韻を踏むように二音節風の区切りある語調となる。

これに対し、引用商標の称呼「ラーバン」は、第一音「ラ」に長音を伴うもので、右長音は前音「ラ」の母音「ア」をそのまま継続するものであり、かつ、それに続く第三音「バ」の母音も「ア」であるから、語尾の撥音「ン」に至るまで全体として緩やかで連続的に一音節風の語調となる。

したがって、両商標は、語感、語調が相違し、彼此相紛れるおそれはない。

(2)  本願商標は、原告が永年その業務に係る商品に使用して、取引者、需要者間に周知、著名であるから、その称呼である「ランバン」に接するときには、原告の出所に係る商品を表示するものとして認識され、識別されるものである。すなわち、原告は、一九世紀末にデザイナー、ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)夫人によって創設されたフランス・オートクチュールの老舗であり、婦人服、紳士服、ネクタイ、鞄、アクセサリー等のファッション商品メーカーとして世界的にその名前を知られている。日本においても、昭和三六年に近文商事株式会社と総代理店契約を締結し、同社及びそのサブ・ライセンシーを通じて、原告の業務に係る被服等の商品を販売しているところ、それらの商品に使用されている「LANVIN」、「ランバン」の表示は原告の出所に係る商品を表示するものとして、取引者、需要者間に周知、著名である。そして、原告の前記「LANVIN」の文字からなる商標は昭和四七年九月六日に登録第九七九五五五号商標として登録されており、本願商標は上記「LANVIN」の連合商標として、その読みを片仮名で表記したものにほかならないのである。

ところで、前記「LANVIN」の商標は、引用商標の出願日である昭和四四年一二月二二日より前の同四三年一月二二日に登録出願されたものであるから、仮に「ランバン」と「ラーバン」の両称呼が類似であるとするならば、引用商標は登録を受けることができなかったはずである。

以上のように、本願商標は、引用商標が登録されている下で、我が国において少なくとも昭和三〇年代以降今日まで、原告及びその関係者が使用し、原告の出所に係る商品を表示するものとして広く認識され、識別されているものであるから、引用商標との混同を生ずるおそれはない。

(3)  したがって、本願商標と引用商標が類似するとして、本願商標が商標法四条一項一一号に該当するとした審決の認定判断は誤っており、取消しを免れない。

第三請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因に対する認否

請求の原因1、2は認めるが、同3は争う。

2  反論

(1)  両商標は、語頭音を含む三音を共通にし、異なるところは第二音が長音か、それとも撥音「ン」かの相違にすぎないところ、①長音と撥音(「ン」)は、明瞭に発音され、聴取されるものとはいえないものであって、響きの弱いものであること、②長音と撥音は、音声学的にみても、類似の音であること、③前記差異音の前音「ラ」は、明確で、響きの強い弾音であり、しかも、差異音に続く「バ」は、強く響く破裂音であるから、これらの両音間に存する差異音の響きは一層弱いものとなること等を考慮すると、両者は極めて僅かな差異にすぎない。

そうすると、「ランバン」の称呼が二音節で発音されたとしても、上記差異音は近似したものであるから、両称呼に及ぼす影響も極めて少ないものといわなければならない。したがって、両商標を全体として一連に称呼するとき、語感、語調は近似したものとなり、彼此聴き誤るおそれがあるものといわなければならない。

(2)  本願商標が、原告取扱商品を表示するものとして広く認識されているものであったとしても、両商標が称呼において紛らわしいものである以上、かかる事情は、類否の判断に影響を及ぼすものではないから、原告のこの点に関する主張は失当である。

第四証拠《省略》

理由

1  請求の原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、審決の取消事由について判断する。

本願商標及び引用商標の構成、指定商品及び出願登録の経緯(審決の理由の要点(1))並びに両商標の称呼(審決の理由の要点(2))が審決認定のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

(1)  審決は、両商標の称呼を主として音声学的観点から検討しているので、まず、上記観点から両商標の称呼を検討するに、両商標が語頭音「ラ」を含む「バ」及び「ン」の三音を共通にし、語頭音の後が引用商標において「ラ」の長音であるのに対し、本願商標において撥音「ン」である点に差異があることは当事者間に争いがない。以上のように両商標の差異音は、本願商標の「ン」が撥音であるのに対し引用商標が長音であるところ、成立に争いのない乙第一号証の一ないし四によれば、音声学的観点においては、語音の類似性は、(a)母音の異同及び母音間の距離、(b)子音の有声・無声の別、(c)子音の調音位置の異同及びその距離、(d)子音の呼気の流れ方の異同、等の各要素の類否の組合せによって規定され、これらの各要素のうち一つだけが異なる複数の単音は両者の類似度が最も大きく、相違する要素が増加するにつれて、語音間の音声学的距離(語音の違い)が大きくなるとされていること、音節数が同一である語形は類似性が高いこと、撥音と長音は音声学的に類似性を有することが認められ、かかる観点から両商標の称呼をみると、前記のとおり両商標の称呼においては前記差異音以外は語頭音を含めて同一であり、かつ、差異音も撥音と長音であるから、両者を前記の音声学的観点のみからみる限りその類似性は高いということができる。

しかしながら、両商標を、語調、語感の観点からみた場合、引用商標は通常、語頭音「ラ」にアクセントを置いてしり下がりに一音節として発音されるため、聴者に平板な感じを与えるのに対し、本願商標は通常、「ラ」と「バ」にアクセントを置いて「ラン」と「バン」の二音節として発音され、かつ、右各音節の語尾がいずれも「ン」であることから、あたかも韻を踏むような語感を生ずる点において、両者は語感、語調において相当の差異を有するものでかかる差異は称呼上も無視できないものというべきである。したがって、かかる観点からすると、審決が両者をそれぞれ全体として一連に称呼するときは、語感、語音が近似したものとなり、彼此聴き誤るおそれがあるとした点は、相当ではないというべきである。

(2)  ところで、商標のもつ商品の識別機能を検討するに当たっては、いうまでもないことではあるが、単に音声学的観点のみから称呼の類否を検討するだけでは足りず、当該商標を付した商品の取引の実情、すなわち、取引関係者、需要者層における当該商標の周知性ないし著名性、当該指定商品の属する分野における取引の形態、当該商品の特質等の当該商標が使用される現実の取引状況を踏まえた上で、前記音声学的観点からみた類否の判断のもつ社会的意義を再吟味し、その類否を決すべきであるから、以下、かかる観点から本願商標と引用商標の前記のような社会的諸条件について検討してみることとする。

《証拠省略》によれば、ランバンは、フランスのデザイナー、ジャンヌ・ランバン(Jeanne Lanvin)及びその後継者がデザインした婦人及び紳士衣料品各種、革製バック、ベルト、アクセサリー、香水、靴、眼鏡等のブランドであり、その由来は、前記ジャンヌ・ランバンが一八九〇年に婦人服と帽子の専門店をパリのフォーブル・サントノレ通り開業して好評を博したことに始まり、次第に取扱商品を香水や紳士物等に広げて服飾業界における地位を確立し、一九〇〇年代始めには、ランバンの名前はフランスを代表するオートクチュール(高級洋装店)の一つとして欧米に広く知られるに至った。

そして、我が国においては、《証拠省略》によれば、既に昭和三〇年代後半からランバンの婦人服、紳士服が近文商事株式会社を通じて輸入販売されたのを始め、原告は、昭和四三年一月二二日、本願商標と称呼を同じくする商標「LANVIN」を、指定商品を本願商標と同一として商標登録出願し、同四七年四月二一日の登録査定(審決)を経て、同年九月六日その登録を受けた。そして、本願商標の出願当時までには、紳士・婦人物各種衣料を始めとして、バッグ、香水、アクセサリー、眼鏡、傘、靴等の衣料品を中心とした幅広いランバン製品が、「LANVIN」又は「ランバン」の名称で輸入ないしは製造販売され、昭和五三年には偽物のランバンネクタイが出回るとの新聞報道がされるなど、ランバンの名称はフランスの服飾業界を代表する最も著名な老舗の商品を表すブランド名として、我が国の取引関係者はもとより一般需要者の間に広く定着し、愛好されていた事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。

以上の事実によれば、本願商標の出願当時において、前記「LANVIN」の登録商標、これにより生ずる「ランバン」の称呼及びこの称呼をそのまま片仮名により表示した「ランバン」の標章は、本件指定商品の属する被服及び布製身回品の取引分野において、フランスの著名服飾会社である原告の商品を表すいわゆる高級衣料品のブランドとして取引関係者はもとより一般需要者の間においても、著名なものとして広く知れ渡っていたものということができるのである。

そして、本願商標は、前記のように登録商標「LANVIN」との連合商標として登録出願されたものであり、かつその称呼をそのまま片仮名書きとした前記標章と同じ構成であるから、著名、周知なものとして、本件指定商品のうち被服及び布製身回品の分野において、取引関係者のほか一般需要者にまで広く浸透していたものと認めることができる。

かかる本願商標の著名性及び周知性に照らせば、前記のような音声学的観点からの類似性にもかかわらず、本願商標の称呼のもつ前述した韻を踏むような特有な語調、語感から、本願商標の付された本件指定商品のうち被服及び布製身回品についてはもとより当然のこととして、これらと素材及び用途において共通性及び親近性を有する寝具類(寝台を除く。)についても、直ちに、原告の商品であると認識することができる高い識別力を有するものというべきである。

(3)  そうすると、本願商標は、これを商品に付した場合その称呼により、それが直ちに原告の商品であることを想起させるものとして、引用商標と識別可能というべきであるから、これが称呼において類似しているとした審決はその類否の判断を誤ったものであり、審決は違法として取消しを免れない。

3  よって、本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 田中信義 杉本正樹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例